瀧藤準教・尊教の父子(天王寺区)

設置場所:大阪市天王寺区夕陽丘町4-8 真光院本堂
製作者:楢原北悠(1953年北海道の生まれ、1990年ブロンズ彫刻制作のため鋳物の街・高岡市に工房を設立する。)
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:真光院は和宗の寺院、四天王寺の支院である。寺伝によれば、推古天皇2年(594年)聖徳太子の草創で、用明天皇追孝の念仏法会を修した折に、天竺祇園精舎の西北角に当たる無常院に模して、四天王寺の無常院菩提所と定めた。本尊を引導仏と称した。
瀧藤尊教猊下(向かって右:たきとう・そんきょう、1922-2010)は真光院の出身。東京帝国大学印度哲学科在学中応召し、帰国後京都大学仏教科に転学。真光院第三十世、四天王寺女子大学教授などを経て、和宗総本山四天王寺第105世管長(1990-1994)を務めた。
瀧藤準教先生(向かって左)は、尊教猊下の父。真光院第二十九世を務め、1957年に設置された四天王寺学園女子短大の初代学長に就任。1962年に、著書「仏跡を慕いて」を真光院より出版。
真光院第二十九世瀧藤準教先生寿像
四天王寺第百五世管長 真光院第三十世 瀧藤尊教猊下傘寿像

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