銅像作家の巨匠列伝

大熊氏広

埼玉県 川口市鳩ケ谷(旧鳩ヶ谷市)出身。
明治9年、日本の本格的美術学校である工部美術学校が創立されたに「彫刻科」に入学し、一期生を主席で卒業。
その後「有栖川邸」の彫刻を担当する。
腕を買われ政府より偉人顕彰像の第一号「大村益次郎像」制作の依頼を受けたため、更なる技術向上の為、留学を決意、三菱財閥2代目:岩崎弥之助の援助を受けヨーロッパに留学する。
依頼を受けてから6年後に銅像を完成させた。
「大村益次郎像」は日本初の西洋式銅像と呼ばれている。
この銅像製作の成功により、名声は不動のモノとなる。
彫刻の多くは当事者の依頼によるもので、モデルは皇族・政治家・軍人・実業家・学者と幅広く、当時の日本を代表する彫刻家として重きを成していた。

大熊氏廣作の銅像