金刺盛澄(下諏訪町)

場所:下諏訪町 霞ヶ城跡(ホテル山王閣)

平安時代後期の武士で諏訪大社下宮の神官でもあることから諏訪盛澄とも呼ばれる。藤原秀郷流:流鏑馬の名人。
弟には、源義仲の家臣:手塚光盛がいる。
義仲の挙兵に参加するが、敗北後は平家の家人であったこともあり頼朝に捕縛される。

武勇を惜しまむ梶原景時が頼朝に助命を嘆願するが、その条件として流鏑馬で3つの的に当てることとされた。
敢えて暴れ馬に乗せられ悪条件であったが見事3つの的を的中させて拍手喝采を浴びた。
後に鎌倉御家人として流鏑馬や的始の儀式で活躍した。

(2020/12/27追記:ホテル山王閣が閉鎖したため、騎馬像の行方が心配でしたが、この場所は霞ヶ城跡として残っており諏訪大社下社の駐車場として活用されて騎馬像も残っております。 林久治さんからの情報)

1 comment

  1. 林 久治 -

    https://blog.goo.ne.jp/mugiide/e/c6744926ac366c6fb3f3c78d9e8f64dd
    上記のサイトに、次のような記事(2020年10月06日 )がありました。
    霞ヶ城は、木曽義仲の家臣だった手塚太郎光盛の居館と伝わります。
    俱利伽羅峠の合戦に参戦ししており、その後の加賀篠原の戦いでは斎藤実盛と一騎打ちとなり
    見事に討ち取りました。
    しかし、斎藤実盛は幼少の義仲(駒王丸)の命の恩人斉藤別当実盛であり、
    義仲が号泣したという戦乱の世の悲劇としても知られています。
    現在霞ヶ城跡は諏訪大社の駐車場となり、現地には案内看板と金刺盛澄の騎馬像があります。

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